文学と本に関するコラム「たまたま本の話」です。

第88回 スマホなき時代のミステリ(結城昌治)

年が明ければ平成も30年。新聞によれば、天皇陛下が2019年4月30日に退位、5月1日に皇太子が即位、同時に改元という方向で調整に入っている。平成という時代も風前の灯なのだ。もはや「昭和は遠くなりにけり」である。
そんな折、往年の名作ミステリが復刊されたので取り上げたい。「あるフィルムの背景 ミステリ短篇傑作選」(2017年11月、ちくま文庫刊)。著者は結城昌治(1927-1996)。新刊の帯には「昭和に書かれていた極上イヤミス見つけちゃいました」という惹句が書かれている。ミステリ評論家の日下三蔵の編集による1冊だが、これがとてつもなく面白い。スマートフォンもGPS機能もなかった昭和という時代を考えるためには、最良のテキストといえる。
1972(昭和47)年6月に角川文庫から結城昌治の短編集が刊行された。著者自らが選んだサスペンス系列の短編8編を収めた「あるフィルムの背景」である。刊行当時、質の高さで話題になったものだが、今回のちくま文庫版はその短編集を丸ごと収録している。それだけではない。ブラックユーモア系列の短編5編が増補され、合わせて13編を収めた垂涎の1冊に仕上がっている。これはまぎれもなくザ・ベスト・オブ結城昌治であろう。
タイトルと執筆時期を見てみよう。掲載誌名は省くが、サスペンス系列8編が「惨事」1963年12月、「蝮の家」1961年4月、「孤独なカラス」1964年2月、「老後」1966年1月、「私に触らないで」1964年9月、「みにくいアヒル」1965年3月、「女の檻」1966年10月、「あるフィルムの背景」1963年2月。ブラックユーモア系列5編が「絶対反対」1962年1月、「うまい話」1960年8月、「雪山讃歌」1962年1月、「葬式紳士」1961年9月、「温情判事」1960年11月。
見事なまでに、1960年代の前半から中盤(昭和35~41年)にかけて書かれた作品ばかりである。当時がどんな時代だったかといえば、1960年の安保闘争と1964年の東京オリンピックを経て、1970年の大阪万国博覧会を見据えた時期に当たる。日本の高度経済成長期は、1956年に経済白書が「もはや戦後ではない」と宣言したことに始まる。1955年から1973年の18年間は、年平均10%以上の経済成長を達成した。結城がこれらの秀作短編を矢継ぎ早に発表した時期は、まさに日本が高度経済成長と国際化の波に乗っていた時代だったのである。
その時代にミステリ短編を書くとはどういうことを意味するか。高度経済成長の波に乗って順調に人生を送っている人物を描くのではドラマにならない。当然、登場するのは社会から弾き飛ばされた人間ばかりだ。以下、作品の内容に触れるので未読の方はご注意を。
「惨事」では、定時制高校に通いながら地元の信用金庫に勤めている少女が、花火大会で強姦されたことによって人生が変転していくさまが描かれている。やがてバスガイドとなった彼女は、乗客の中に自分を強姦した男がいるのを知って、バスを谷底に転落させてしまう。いかに多くの中卒就労者が、高度経済成長を陰で支えていたかを暗示させる物悲しい話である。「孤独なカラス」は、「カラス」と呼ばれ友だちもいない少年の周囲で起きる変死事件の話。統合失調症や多重人格を取り上げたごく初期の小説という趣きもあり、かつて筒井康隆が編んだ伝説の恐怖小説アンソロジー「異形の白昼」(1969年11月、立風書房刊)にも収録された。「みにくいアヒル」は、幼いころから容姿をからかわれてきた女性が、男に襲われそうになって相手を殺してしまう。しかし自分を襲おうとした男がいたことで皮肉にも積年のコンプレックスが解消されるという話である。歯科医(「私に触らないで」)や医大講師夫人(「蝮の家」)、検事(「あるフィルムの背景」)や判事(「温情判事」)といったエリート街道を歩んでいる人物が登場する作品であっても、彼らはちょっとした金に目がくらんだために、あるいは妻を殺された復讐のために、ふとしたはずみで人生を踏み外す。
結城昌治は1927年に東京の品川に生まれている。旧制高等学校受験に失敗したのを機に、海軍特別幹部練習生を志願。終戦直前の1945年5月に武山海兵団に入団するも、身体再検査の結果、すぐに帰郷を命ぜられる。帰宅の晩に空襲で自宅が焼失したため、敗戦まで栃木県那須に疎開したという。戦後の1946年、早稲田専門学校法律科に入学。1948年に東京地方検察庁に事務官として就職するが、就職後1年足らずで肺結核になり、国立東京療養所に入院、1951年まで療養生活を送った。その後も1959年には胃から吐血し、1か月ほど虎の門病院に入院している。つまり戦中、戦後それぞれの局面でエリート街道を歩み出したとたんに、病気や空襲によってつまずくという憂き目にあっている。使い古された言葉だが「人生は一寸先が闇」という言葉を、結城はまさしく自分の生き方において実感したのではないか。
しかし運命は分からない。肺結核で入院中に知り合った作家の福永武彦に薦められ、海外の推理小説を読み始めたのがきっかけとなって、1959年の作家デビューにつながっていく。デビュー作は「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」日本版の第1回短編コンテストに応募した「寒中水泳」で、同誌の7月号に掲載された。1960年には東京地方検察庁を退職して作家専業となる。その後の活躍はご存じの通り。作品のジャンルはミステリだけでなく多岐にわたり、1970年には戦時中の軍部の裏面を描いた「軍旗はためく下に」で第63回直木賞を受賞している。人生は一寸先に光もあった。(こや)

 

第87回ノーベル賞作家をめぐる3つの記事(カズオ・イシグロ)